ブラックレディ・キャンセレーション


 いちばん好きなトランプゲームは何かと聞かれたら、正直なところこれ、ブラックレディ・キャンセレーションを上げてしまう。
 もちろん、おもしろいゲームということなら、コントラクトブリッジやスカート、クリベッジ、あるいは日本のナポレオンといったゲームの名前がふつう上がるんだろうが、このBCは多人数で遊べる(6〜9人が最適)数少ない、そして、おもしろいトランプゲームなのだ。
 そのおもしろさは、もちろんよくできたトランプゲームの持つスキル(腕前)とラック(運)がかみあわさったものだが−−基本はハーツという、これもすぐれた4人用のゲーム−−通常のそうしたものに、キャセンレーション(同じ数が出たときにカード同士がキャンセルされて、それが危険ではなく安全を呼ぶ)という、言うに言われぬ瞬間がある。これがある程度コントロールできそうにみえて、じつはどうしようもないというのがすばらしい。
 いま思ったのだが、どうもぼくは、ゲームの知的な要素の中にある程度踏み込んでも、どこか一部だけは読み切れず、そこで思いもかけないことが起こる(まあ、逆転といってもいいだろう)作品が好きなようだ。
 多人数のゲームだと、こうした“読めそうでいて読めない”というランダム性の要素は大きくなってきて、割合好みのゲームも多くなるのだが(もちろん、絶対数では少ないし、集まれる機会もふつう多くはないが)、4人以下の小人数のゲームではなかなかそうはならない。
 言い換えるならこれは、モロに力量差が出てしまうゲームは、いくらよくできていても、あまりやる気になれない性格ということだろう。
 とまあ、関係ない連想が働いたりしたけれど、それくらいこのBCは、方向性としてぼくの理想に向かっているゲームなのだ。まあ、頭がそんなに良くなくて、先の読めないゲームが好きなんだろうと言われれば、そうなのかもしれないが、逆に読めてしまったときのゲームのつまらなさって感じませんか?

ブラックレディ・キャンセレーションの遊び方


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